昭和初期の中央詩壇で〝モダニズムの騎手〟として活躍した延岡市出身の詩人・渡辺修三(1903~1978年)の遺徳を顕彰する詩碑祭が11月4日、延岡市大野町の詩碑前広場で開かれた。
渡辺修三は、延岡市尾崎町生まれ。1921年に旧制延岡中卒業後、早稲田大学に入学し、詩人・西条八十に師事、詩人としての活動を本格化させ、1928年に詩集「エスタの町」を出版するなど詩壇の第一線で活躍。モダニズムの騎手と呼ばれ注目を浴びた。翌年、家庭の事情で帰郷し、その後は大野町で農園を営みながら精力的に制作活動を続け、県内外の多くの詩人に影響を与えた。また、延岡の各学校の校歌の歌詞を数多く手がけ、その数は小・中・高校12校に及ぶ。
詩碑祭は今年で4回目。神事では、渡辺修三顕彰会会長の湯浅一弘さんや読谷山洋司市長らが玉串を捧げた。
湯浅さんは「修三先生はこの黒岩地区の自然をこよなく愛し、ここ延岡を終えんの地とされた土着の詩人。素朴で身近な地域文化という新たな視点からあらためて見直されるべきではないかと強く思う。この文学的文化遺産を次の世代に伝承していくという私達に期待された責任は実に大きい」とあいさつした。
黒岩小中学校の児童生徒46人が渡辺修三が作詞した校歌を斉唱、東海幼稚園の年中・年長児35人が詩碑に刻んである詩「天使たち」を献句。地元のコーラスグループ・桜ヶ丘コールチェリーが、修三が作詞した「祝子川」と「栗の花」の2曲を歌い上げ、その功績を偲んだ。