旭化成の創業者として延岡市発展の基礎を築き“延岡新興の母”と呼ばれている野口遵翁の生誕祭が翁の誕生日である7月26日、野口記念館ホワイエで開かれ、市や市議会の代表、野口遵顕彰会(会長・清本英男延岡商工会議所会頭)の会員らがホワイエにある野口翁の胸像に祝い花を献花するなどして、その功績を讃えました。
野口翁は、明治6年(1873)石川県金沢市生まれ。旭化成の前身である日本窒素肥料株式会社を創業し、大正12年(1923)10月5日にカザレー式アンモニア合成法の事業化に成功し、日本工業史に残る偉業を成し遂げ、その後も次々と近代的化学工場を建設し、延岡市の産業、経済において多大な貢献を残しました。
また、昭和5年(1930)に延岡町、岡富町、恒富町の1町2村の合併を実現し、昭和11年(1936)の東海村、伊形村との合併にも尽力するなど、産業、経済はもとより、様々な面で延岡市の発展の礎を築かれ、今もなお「延岡新興の母」として讃えられています。
生誕祭では、岡富中学生18人が延岡市歌を斉唱した後、首藤正治延岡市長、野口遵顕彰会の片山俊之副会長、山添勝彦旭化成延岡支社長、上田美利延岡市議会議長の4人が、胸像前に設けられた献花台に祝い花を捧げました。
主催者を代表してあいさつした首藤市長は、「野口翁には工業都市・延岡の礎を築いていただき、感謝の言葉をいくら申し上げても足りません。産業、経済面の貢献はもとより、延岡のまちの姿を大きく変貌させた牽引役として大きな功績があり、その存在を私たち延岡市民は決して忘れてはいけません」と強調。
顕彰会の片山副会長も「野口翁の功績を後世の皆さんにお伝えしたいと活動を始め16年が経過しました。顕彰会ではアンモニア合成に成功した10月5日に毎年顕彰祭を開催してきましたが、今年から市と共催する形で生誕祭に一本化してその偉業を顕彰していく方針です。これからの延岡市、科学技術の発展を祈念し、この生誕祭がより盛大に開催していけるようにしたい」と訴えました。
最後に、顕彰会が実施する昨年の「ジュニア科学者の翼」に派遣研修生として参加した西階中学校3年の南太貴さん(14)が、「日本の最先端の技術を直接観て、触れて、研究者から話を聞くことが出来たことは、とても貴重な経験となりました。また、県北の違う学校の人とも触れ合うことができ、自分にとって様々なプラスの影響を受けました。今後の自分の進路を見据え、決定していく上で、野口さんの業績に改めて触れることができ、自分の進路選択に幅が広がりました。生誕祭を皆さんとともにお祝いできることをうれしく思います」とメッセージを述べました。