弊社が2022年に発刊した「学び舎の記憶〜のべおか廃校遺産2022〜」で紹介した延岡市内の廃校を改めて紹介していきます。
写真は発刊前に撮ったもので、さらに壊れたりしているかも知れませんが、ご容赦ください。
第1回は北川町の旧松葉小学校です。
松葉小学校(北川町)
〝奇跡の清流〟と言われる北川水系小川(こがわ)の支流、矢ヶ内川に架かる橋を渡り、坂道を登った高台に旧松葉小学校はある。
学校から北へ10キロほど行った大分県との県境にある集落・陸地(かちじ)までが校区で、宮崎県最北に位置する小学校だった。
学校下の矢ヶ内川は、毎年5月末から6月初旬にかけてたくさんのホタルが乱舞。8月には北川漁業協同組合の組合員でつくる「清流北川守ろうかい」が、鮎のちょん掛け大会を開催している。
ちょん掛けは竿の先に針を仕掛け、鮎を引っ掛けるようにして釣る北川の伝統漁法。通常は組合員しかできないが、この日は特別に一般の人も体験できるとあって、毎年200人を超える参加者でにぎわう。
同地区での児童教育の歴史は古く、発祥の起源は明治5年(1872)まで遡る。北川、北浦にまたがる下塚地区の子どもたちを対象に創立された北川村立下塚簡易小学校が前身で、当時は松葉観音寺の庵住先生が、いろり端で少数の子どもたちに「読み・書き」を教えていたと伝わる。
その後、次第に児童数が減少し、明治16年(1983)には廃校となり川内名小学校に編入されたものの、児童の通学に支障(通学距離が長かった)をきたしたため、明治19年(1986)に現在地に校舎を新築。21年4月10日、初代校長に森誠之輔氏を迎え、川内名小学校の分校として開校した。
開校当時15人だった児童数も、昭和6年に168人、同32年(1957)度には156人を数えるなどピークを迎えている。121年という長い歴史にピリオドを打った閉校時の在校生は13人だった。
昭和22年(1947)には松葉中学校が併設となり、中学校が閉校した平成14年(2002)度までの55年間は、小中併設校として小中一貫教育を行ってきた。
夏に矢ヶ内川でデイキャンプをしたことがある。県境の山々を水源とする水は澄み渡り、水中メガネ越しに群れ泳ぐ鮎の姿が確認できた。ただ、かつて子どもたちの歓声が響いていたであろう川面では、野鳥のさえずりと吹き渡る風の音だけしか聞こえなかった。