好天に誘われて、山も、街も大賑わい――。九州3大春祭りの一つ、延岡今山大師祭は4月13日から15日までの3日間、延岡市山下町の今山大師寺を中心に市内各所で開かれました。中日の14日こそ雨にたたられましたが、最終日の15日は風は強いものの天気が回復し、呼び物の市中パレードの際には、沿道に幾重もの人垣ができ、参加39団体が次々に披露する趣向凝らした出し物に笑顔が広がりました。
今年のテーマは「まち中むら中お接待! 地区も職場もおもてなし! 心をつなぐお大師さん!」。「やま」と呼ばれる今山大師寺周辺では、本堂や銅像広場で開会式大法要やお楽しみ福引き大会、もちまき大会、戦没者戦災殉難者慰霊法要、カラオケや舞踊を交えた演芸大会などが行われました。
商店街や各地区ごとにお接待所(大師御堂)ができ、お茶やお菓子のお接待を行ったほか、街中にはたくさんの露店が並び、各商店街が趣向を凝らしたイベント、見立て細工(5カ所)の展示などもありました。
最終日の15日は午後1時から、フィナーレを飾る恒例の市中パレードが行われ、39団体約1800人が参加。旭化成岡富地区工場をスタートし、ジャスコ延岡ニューシティ店まで約4キロのコースを練り歩きました。
また、延岡市の特産品やうまいもんを一堂に集めた「第39回延岡のぼりざる物産展」が14、15日の2日間、市道今山参道線を歩行者天国にした特設会場で開かれました。市内の物産業者や九州文学観光ルートで交流のある福岡県柳川市、大分県竹田市、姉妹都市の福井県坂井市、兄弟都市の福島県いわき市、大分県佐伯市などから33店が出展し、大勢の買い物客らでにぎわいました。
おだいっさんの歴史
延岡市の「延岡大師祭」は、200年近い伝統を持つ九州春の3大祭りの1つ。市民には「おだいっさん」として親しまれています。
真言宗の開祖・空海(弘法大師)をお祭りする行事で、3日間の祭り期間中、20万人を超える参拝者が地元はもとより遠くは四国や北九州方面からも訪れ、にぎわいます。
弘法大師は宝亀5年(774)、四国讃岐国(香川県)多度郡屏風浦(現善通寺市)の生まれ。31歳のとき、最澄(伝教大師)らと一緒に遣唐使として唐の長安に渡り、2年後帰国して真言密教を伝え、弘仁10年(819)ごろ、紀伊国(和歌山県)高野山に金剛峰寺を開きました。承和2年(835)、62歳で入滅しました。嵯峨天皇(さがてんのう)、橘逸勢(たちばなのはやなり)とともに「三筆」の1人。「いろは歌」の作者ともいわれる。大師にちなむ伝説や言い伝えは、全国各地に残っており、またその遺徳をしのぶ人は多い。
延岡市の今山大師は、天保10年(1839)、大師を慕う信徒たちが今山に大師庵を建て、大師の座像を高野山から勧請(かんじょう=神仏の霊を移し祭ること)したのが起こり。信徒たちは大師庵の管理を近くの天台宗・善正寺に依頼、善正寺は宗派を超えて大師庵を守ってきました。このころから今山大師祭りが定着していったものと思われます。
現在の大師堂は大正7年(1918)、今山大師寺開山の円帰哲禅(まるきてつぜん)師が建立しました。今山頂上の大師像は、昭和32年(1957)、同寺2世の野中豪雄師が提唱、浄財1700万円で建てたもので、弘法大師像としては日本一の大きさを誇ります。台座からの高さ17メートル、大師像だけは10メートル、重さ11トン。台座の上からは延岡市街、日向灘が一望できます。