延岡史談会(甲斐典明会長、84人)の創立90周年を記念した第4回講演会が3月22日、延岡市社会教育センターで開かれ、甲斐典明(かい・のりあき)会長が「南限の地、境目の地 延岡」の演題で講演しました。
延岡史談会は昭和11年に発足しました。戦中戦後の混乱期に活動を中断していましたが、昭和36年に再開しました。発足から今年で90周年を迎えることから、記念講演会としてこれまで3回の講演会を実施しており、今回はその締めくくりの最終講演となりました。当日は一般公開され、会員を中心に43人が参加しました。
講演した甲斐会長は延岡市出身で、鹿児島大学から熊本大学大学院修士課程に進み、修了後は県内の県立高等学校で教諭、副校長を歴任しました。現在、延岡史談会の会長のほか、宮崎県地方史研究連絡協議会会長。門川町文化財保護審議会委員などを兼任しており、延岡を中心とした宮崎県北の通史に精通しています。共著書に『宮崎県中近世城館跡緊急分布調査報告書I・II』、『東臼杵・西臼杵の歴史』、『九州の中世Ⅲ 戦国の城と館』、『まんがのべおかの歴史物語』などがあります。
講演の中で甲斐会長は、平成5年から宮崎県教員委員会文化課が実施した「宮崎県中近世城館跡悉皆調査」をきっかけに、延岡・東西臼杵郡地域は宮崎県のローカルの視点では北限の地として意識されていますが、「視点を九州、全国に拡大すると地政学的にはむしろ東九州における南限の地、境目の地である」と考察するようになったことを説明し、考古学的、歴史的史資料をもとに縄文時代海進からの延岡地域の歴史的推移を解説し、「東九州の文化の風は北から吹いて来る キーワードはアガタ」と分析しました。

特に中世城館の形式では、県内の他の城館や鹿児島県内の城館の形式と比較しながら、「土持氏時代の縣松尾城は平時の生活空間である屋敷地空間と、有事の際の詰め城となる背後の山城部分とに機能分化した二つの区域からなる構造になっています。土持氏の城は全部同じ造りになっている。それ以外の県内、鹿児島の城は中世の山城をそのまま使用している九州館屋敷型(たてやしきがた)城郭になっています。つまり、延岡は関東から北九州にかけて見られる館型(やかたがた)城郭+機能分化型山城の南限のエリアだ」などと話しました。
また、近世的な兵農分離の南限、譜代藩の南限、清酒文化の南限などの「南限の地」を示すいくつかの指標を紹介した上で、最後に「3万年前の旧石器時代から時代ごとに県内を代表する史跡や遺跡をピックアップしたら、延岡には全ての時代を象徴するようなものが揃っている。こういうものを認識し、延岡市民としてのシビックプライドをキチンと意識する上でベースになるのが歴史ではないかと言える」などと強調しました。











