国の文化審議会が6月23日開かれ、ぶり御殿として知られる延岡市赤水町の日高家住宅など8件を重要文化財に指定するよう文部科学大臣に答申しました。指定されれば市内の有形文化財では2件目の重要文化財になります。
日高家住宅はぶり大尽として知られる日高亀市翁(1845〜1917年)により明治29(1896)年、石垣を組み、湾岸を埋め立てて建てられました。金物を使用しない伝統的な工法で建てられた和風建築で、幾層にも重なる屋根は入母屋(いりもや)と切妻(きりづま)の混構造で、重厚な雰囲気を醸しています。すでに築125年が経過していますが、今なお変わらぬ姿をとどめています。
背後の丘の上からは、いくつもの棟が重なって複雑な構造をした屋敷全体を見ることができます。そのどっしりとした様は、海に浮かぶ巨船を彷彿させます。各棟の屋根はすべて瓦で葺かれ、それだけで日本の建築美を語るのに十分です。
屋根の下には、27 LDKという圧倒される数の部屋が配されています。見学に訪れた人は、まずその部屋数の多さに驚嘆します。玄関、廊下、座敷、床の間、天井、縁側のいずれも、ケヤキなどの高級材が惜しみなく使われ、1 世紀を経て、いぶし銀の光沢を放っています。
一方、浴室の天井や階段の手すり、玄関のタイル張りなどに当時の洋風建築の意匠が取り入れられており、近代らしさが感じられる造りとなっています。
今回の答申では、邸宅に隣接し、水揚げされたブリを燻製にするカラミレンガ造りの「燻製室」と、石垣護岸で囲まれた敷地約3450平方メートルが合わせて答申されました。
亀市翁は明治25 年(1892)「日高式ブリ大敷網」を発明、以後ブリの漁獲高は劇的に増加しました。明治25 年から大正3 年(1914)までの23 年間の漁獲高は429 万円。ちなみに同年完成した東京駅舎建設費は282 万円、亀市翁は当時の個人漁業者としては空前の富を得ました。