リチウムイオン電池の研究・開発で昨年、ノーベル化学賞を受賞した旭化成株式会社名誉フェローの吉野彰氏(72)の受賞記念講演会が12月20日、延岡総合文化センターで開かれた。テーマは「リチウムイオン電池が拓く未来社会」。2部構成で、第1部には宮崎県北の中学・高校から474人、一般県民を対象とした第2部には約900人の応募があった。
延岡市は吉野氏に5人目となる名誉市民の称号を贈ることを決め、今年3月30日に講演会開催を予定していたが、新型コロナウイルスの感染拡大の影響により開催中止となっていた。
吉野氏は、京都大学工学研究科修士課程を修了後、旭化成に入社。1999年の日本化学会「化学技術賞」受賞をはじめ、紫綬褒章、日本国際賞、欧州発明家賞など数多くの賞を受賞し、2019年12月10日にリチウムイオン電池に関する研究開発の功績が称えられ、ノーベル化学賞を受賞した。
吉野氏は延岡市民ではないが、吉野氏の研究開発には延岡で生産された素材が活用され、旭化成化薬工場(東海工場)で行った安全確認の実験が技術確立に向けた一つの契機となっており、名誉市民条例に定める基準「公共の福祉増進、社会公益上に偉大な貢献をなし、その功績が顕著である市民、市に縁故の深い者」に当たるとして、読谷山洋司市長が2月中旬に吉野氏に打診し承諾を受けていた。
第1部では講演会に先立ち、名誉市民の贈呈式があり、読谷山洋司市長から賞状と名誉市民のメダル、延岡牛焼肉の目録が吉野氏に贈られた。
読谷山洋司市長は出席した中高生に、「きょうの講演の中で私は、ピンチになった時にどう前に進むかについてお聞きしたい。試行錯誤の中でも諦めずに強い信念で続けてこられたことが素晴らしい成果につながった。うまくいかなくなった時が本当の始まりということを学ぼうではありませんか。一人ひとりが自分の進む道の中でのノーベル賞を目指して、新しいスタートをするエネルギーを吉野さんからいただきたい」と呼びかけた。
講演の中で吉野氏はまず「新型コロナウイルスの影響で日々の勉学、受験について心配していると思うが、ピンチをチャンスととらえて前向きに進んでほしい。今回の新型コロナの問題はしかるべき時に確実に終息する。今回のコロナで得た私たちの教訓は間違いなく世界を変えていく。そういった目で見てほしい」とメッセージを贈った。
また「間違いなくこれから世界が大きく変わっていく。世界が大きく変わっていく時は若い人にとって絶好のチャンス。新しいことにチャレンジするようないろんな機会が増えていく。皆さんが社会に出られるころ、新しい世界の一端が見えてくる。そういった観点から、これから人類はどうしようとしているのか。その結果としてどう変わっていくのか。みなさんがこれから生きていく上で重要な参考になるのではないのかと思っている」と話した。
科学に興味を持ったきっかけとして、小学4年生の時に先生に勧められて読んだマイケル・ファラデーの「ロウソクの科学」を挙げ、「日本では幕末から明治維新にかけて、人類が分子や原子の存在を初めて知ったサイエンス科学の黎明期に、ロウソクの炎の秘密を科学を知らない人に分かりやすく解説していた」と述懐。重力のある地上と宇宙ステーションの中ではロウソクの炎の見え方が異なることを指摘し、「世間の常識や公式、定説には必ず何かの条件が付いている。その条件を外してやれば、非常識な、誰も考えつかないような独創的なことにたどりつく」と、科学の奥深さ、面白さについて持論を述べた。
また、リチウムイオン電池の開発は、「フロンティア軌道理論」の福井謙一氏、「導電性高分子(ポリ・アセチレン)」を発見した白川秀樹氏というノーベル化学賞を受賞した先人2人の研究に支えられて実現したこと。負極にポリ・アセチレンを使うと軽量化は図れるが、最優先された〝小型化〟が課題として残った際に、旭化成の延岡繊維開発センターから入手したカーボン(VGCF)を使うことで解決できたこと。開発したリチウムイオン電池の安全性を確認するための実験を延岡市の旭化成化薬工場(東海工場)で行い、安全性が確認できたことで開発が大きく前に進んだことなどを紹介した。
さらには、リチウムイオン電池がもたらす近未来像について映像を交えて紹介し、「大阪万博が開催される2025年が次の大きな変革のスタートとなる。2030年がSDGsのゴール、2050年にはSustainable(持続可能な)社会の実現が想定されている。これから社会に出られる若い皆さんには、大きな絶好のチャンスが訪れる。その時に向かっていろんな勉強、経験を積んでほしい」と呼びかけた。
講演終了後、延岡高校3年の笠将稀君が「変化の激しい時代にノーベル化学賞というような大きな偉業を成し遂げるには独創性が大事だと思った。今回は本当にありがとうございました」と謝辞を述べ、延岡中学校3年の新名にこさんが吉野氏に花束を手渡した。