日々ブログ~あぃ あむ ひむか人~Vol3 日向神話の本舞台2

前回に続いて、日向神話のお話です。

 

まず「天孫降臨の高千穂はどこか?」に関して、杉本さんのお話を紹介したいと思いますが、その前に日本神話の基礎となる「古事記」、「日本書紀」(以後、二つの最後の文字をとって「記紀」とします)について触れてみましょう。

明治天皇の玄孫で延岡でも何度か講演された竹田恒泰さんの著書によると、日本が第二次世界大戦に負け連合国の占領下にあったとき、「歴史的事実ではない」、「創作された物語にすぎない」、「科学的でない」などの理由で、「記紀」は「学ぶに値しないもの」とされ、さも有害図書であるかのような扱いを受けてきたようです。

 

確かに、黄泉国から戻ったイザナキノミコトが御祓(みそぎはらい)をした際に、いろんな神様が生まれたこと、コノハナサクヤヒメの火中出産、トヨタマヒメが八尋和邇(やひろわに)になって出産したシーンなど、今日の常識では信じられないような話がたくさん出てきます。

 

でも、どうでしょうか。キリスト教のバイブルである「聖書」でも、天地創造やマリアの処女懐胎など、とても事実とは思えない記述がたくさんあります。アメリカでは「聖書」を知らなければ、ジョークも理解できないといわれるほどで、欧米人、特にキリスト教信者から「聖書は史実ではない」、「科学的でない」などの話を聞いたことはありません。

 

竹田さんは「ここに書かれている記述が『真実』なのであって、『事実』かどうかはさして重要ではない」と指摘。「十二、十三歳くらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅んでいる」という、二十世紀を代表する歴史学者アーノルド・J・トインビー(1889-1975)の言葉を引用し、警鐘を鳴らしています。

 

「新訳聖書」でのキリストの教えが比喩に満ちたものであるように、日本神話の物語の多くも事実を反映させたものであると考えられ、近年の考古学では事実ではないと思われていた事柄の事実性が確認された例も多いと聞きます。

 

日本の若者が外国に行くと、「日本とはどんな国ですか?」、「宗教は何ですか?」などと聞かれ、うまく答えられないケースが多いと聞きます。「記紀」に記されている日本神話はまさに、日本人のアイデンティティーに関わる重要な物語だと言っても過言ではなく、それを学んで自分たちの国の成り立ちを知り、誇りを持つことで、諸外国の人とも対等に渡り合える人材が育つのではないでしょうか。

 

特に、その舞台の一つとなっている日向人(宮崎県民)には、ぜひとも読み込んでほしいと思っています。

 

古事記は日本最古の歴史書で、全3巻からなっています。712年にできています。「上巻」が神代の物語、「中巻」が神武天皇から応神天皇までの記事。下巻が仁徳天皇から推古天皇までの記事で、和漢混交文の原型といわれる文体で記述されています。

 

日本書紀は古事記編さんから8年後、720年にできた「最古の正史」です。奈良時代から平安時代にかけて日本では、「六国史」と言われる国の正史が編さんされていますが、その最初が日本書紀です。全30巻あり、中国を意識して作られたため、漢文で記述されています。

 

古事記はそれまで語り継がれてきた歴代天皇の系譜(帝紀)、神々や英雄の物語(旧辞)の内容を元明天皇の命を受けた太安万侶(おおのやすまろ)が苦心してまとめたものです。

 

しかし、当時の有力氏族の間には、その氏族それぞれに記録や伝承が残っていて、氏族が違えばその内容も若干違ったりしていました。日本書記ではそれら諸氏の記録や寺院の縁起、朝鮮側の資料などを網羅する形でまとめたものです。

ですから、天孫降臨の地一つとっても、「日向襲之高千穂峯」や「筑紫日向高千穂槵觸(くしふる)峯」、「日向槵日高千穂峯」、「日向襲之高千穂槵日二上峯」、「日向襲之高千穂添山峯」といった記述に分かれています。

 

杉本さんによると古事記は「天皇や天皇を取り巻く人達、子孫の人達が勉強するために作られた参考書」だったそうで、できたのは日本書紀よりも古いものの、「国史」扱いはされていません。これに対し日本書紀は、当時も日本にとって驚異だった中国に対し、日本とはどういう国かを説明する意味でまとめられたものだったようです。

 

ありゃりゃ。長々と書いていたら、「天孫降臨の高千穂はどこか?」に関する杉本さんの話を書くスペースがなくなってしまいました。次回に回します。

 

古事記を読みたいと思う人には、竹田さんが古事記全文を完全現代語訳した「現代語 古事記」(学研)がオススメです。

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