延岡が生んだ詩人・渡辺修三の詩碑祭が9月10日、延岡市大野町の詩碑前広場でありました。
渡辺修三は、1903年(明治26)、延岡市尾崎町で生まれました。
1921年(大正10)に旧制延岡中卒業後、早稲田大学に入学し、詩人・西条八十(さいじょう・やそ)に師事、詩人としての活動を本格化させていきました。
1928年(昭和3)に詩集「エスタの町」を出版、翌年、家庭の事情で帰郷します。それからは、大野町で農園を営みながら精力的に制作活動を続けました。
また、延岡の各学校の校歌も数多く作詞していて、小学校は黒岩、西、南方、緑ケ丘、閉校した祝子川の各校、中学校は東海、旭、閉校した瀬口と祝子川の各校、高校は延岡、延岡工、延岡学園の各校と、実に12校におよびます。
詩碑祭では、はじめに神事があり、渡辺修三顕彰会の湯浅一弘(ゆあさ・かずひろ)会長や修三の次男・襄介(じょうすけ)さん、市の関係者らが玉串を捧げました。
神事のあと、湯浅会長は「渡辺修三先生は延岡文化事業の大きな柱となった。今後は書籍の出版、小・中学生を対象とした詩の募集などを通して顕彰していきたい」とあいさつしました。
黒岩地区連絡協議会の岩谷克二(いわたに・かつじ)会長は「修三先生の功績にようやく光を当てることができた。これから黒岩地区を詩人の集う場所として全国に発信していきたい」と話しました。
最後に黒岩小中学校の児童生徒が校歌を斉唱、東海幼稚園の園児が詩碑に刻んである詩「天使たち」を献句しました。
本多寿さんが講演
詩碑祭のあと、大門町の東海コミュニティセンターで文化講演会がありました。
講師は、修三と交流のあった延岡市出身の詩人・本多寿(ほんだ・ひさし)さん(宮崎市高岡町在住)です。本多さんは1947年古川町生まれ。講演では、修三と交流の思い出を振り返りました。
本多さんは、24歳のとき作った詩集を修三に届け、激励を受けたことを紹介。それまで文学について深く考えたことがなかった本多さんは「単に褒められているとは思えずに、このことをきっかけに深く文学について考えるようになった」と話しました。
また、修三の詩の特徴として「渡辺さんの詩の母体は延岡・黒岩地区の自然。作品を読むと、自然の風景が色濃く浮ぶ。黒岩の自然がなかったら生まれなかった作品もあると思う」と説明しました。
会場には、顕彰会や市民などおよそ60人が訪れ、話に聞き入りました。