日本神話にちなんだ地名・名称
「笠沙山(笠沙の岬)」以外にも、日本神話にちなんだ地名、名称が延岡にはたくさんあります。
まず川の名前です。「大瀬川」が「逢瀬川」だったことは前回紹介しました。「五ヶ瀬川」もウガヤフキアエズノミコト(鵜葺草葺不合命)とタマヨリビメ(玉依毘売)との間に生まれた4人の皇子の長兄・イツセノミコト(五瀬命)の名前にちなんで、「五ツ瀬川」と名付けられていたようです。一番下の弟がカムラヤマイワレビコノミコト(神倭伊波礼毘古命)、後の神武天皇です。
何度か紹介する江戸時代の「日向国名所歌集」には、延岡の国学者・安藤通故(あんどう・みちふる、1833~1898)が詠んだ「可愛(え)の山は霞にきえて打けむる五ツ瀬の川に春雨そふる」があり、当時は「五ツ瀬川」と呼ばれていたことが分かります。
五ヶ瀬川を見下ろす吉野町の高台にある水谷(みずや)神社は、イツセノミコトの新居があった場所とされています。
時代の変遷に応じて地名・名称が変わることはよくありますが、「笠沙山」にしても「逢瀬川」、「五ツ瀬川」にしても、日本最古の書・古事記の舞台だったことを伺わせる地名・名称だけに、残念な改名だとは思いませんか。
大きな瀬(瀬とは流れが速く水深が浅い場所)があるから「大瀬川」、5つの大きな瀬があるから「五ヶ瀬川」ではなく、「古事記・日本書紀に由来する名前なんですよ」の方が情緒があり、心に染みると思います。
延岡市内にはもう一つ、「祝子川」があります。市外の人で〝祝子〟を「ホウリ」と読める人はなかなかいません。
この川も、ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの間に生まれた3人の皇子のうち、最後に生まれたホオリノミコト(火遠理命)が、産湯を使ったことからこの名称がついたとされています。ホオリノミコトは後に山幸彦と呼ばれる方で、神武天皇の祖父に当たります。