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郷土の詩人の功績を讃える 延岡市で渡辺修三詩碑祭

 延岡が生んだ詩人・渡辺修三の詩碑祭が11月3日、延岡市大野町の詩碑前広場であった。約200人が参列し、神事の後、黒岩小中学校の児童生徒による校歌斉唱、東海幼稚園園児による詩「天使たち」の献句、コーラスグループによる修三作詞の歌披露などが行われ、〝谷間の詩人〟といわれた修三の功績を顕彰しました。

 渡辺修三は、明治26年(1903)、延岡市尾崎町で生まれた。大正10年(1921)に旧制延岡中卒業後、早稲田大学に入学し、詩人・西条八十(さいじょう・やそ)に師事、詩人としての活動を本格化させた。

 

 昭和3年(1928)年に処女作「エスタの町」を出版するなど注目を浴び、モダニズムの旗手として一躍詩壇の寵児(ちょうじ)となり、「詩と詩論」、「リアン」、「詩法」などに作品を発表し第一線で活躍を続けた。

 

 その後、家庭の事情で延岡に帰郷。大野町で農園を営みながら精力的に制作活動を続け、県内外の多くの詩人に影響を与えた。延岡市内の学校の校歌の歌詞を手掛けたことでも知られ、その数は小・中・高校12校に及ぶ。

 詩碑祭では、はじめに神事があり、渡辺修三顕彰会の湯浅一弘(ゆあさ・かずひろ)会長や読谷山洋司市長らが玉串を捧げた。

神事のあと湯浅会長が、「この詩碑祭も5年目を迎えたが、これだけたくさんの皆さんに来場していただいた。地元を愛する気持ちの表れだと思い、うれしく思う。現在、『渡辺修三の風景』と題した冊子を編さん中で、後世に残していきたい。素朴で見たままの修三先生に対する感想を集めたもので、新たな延岡の文化遺産になると思う」とあいさつした。

 黒岩小中学校の児童生徒34人が校歌を斉唱したのに続き、東海幼稚園の年長児22人が詩碑に刻んである詩「天使たち」を献句。最後にコーラスグループ「桜ヶ丘コールチェリー」(甲斐京子会長)の14人が、修三が作詞した「祝子川」、「栗の花」、「御本城の鐘」の3曲を歌い上げた。