• 2019.7.8

日々ブログ~あぃ あむ ひむか人~Vol.15 チキン南蛮の日に寄せて1

 今日、7月8日は何の日がご存じですか? 延岡市民の皆さんはよーく知っていると思いますが、「チキン南蛮の日」なんです。7(なん)と8(ばん)の語呂合わせで平成21年(2009)に制定しました。

 延岡発祥チキン南蛮党(永野時彦代表)が毎年、この日に合わせ様々なイベントを開催しています。かわまち交流広場で7月6日には「ちきなんピック」~チキン南蛮愛選手権~が開催され、本日は北方学園小学校でチキン南蛮授業が行われています。2年前には、記念日登録も果たしています。

 私は、5年前に代表を辞任するまで、立ち上げ時からチキン南蛮党の活動に関わってきました。そこで、しばし日向神話のお話はお休みし、改めてチキン南蛮のルーツ、南蛮党のこれまでの活動などについて、私なりに知っていることをご紹介したいと思います。

ルーツは洋食屋ロンドン

 チキン南蛮のルーツは、昭和30-40年代に延岡市内にあった洋食屋「ロンドン」の賄い料理にあると言われています。

 甘酢に漬けただけのチキン南蛮を出し続けている「直ちゃん」(延岡市栄町)の創業者・後藤直さんは、昼間はこのロンドンで修行しながら、夜は自分の店を切り盛りし、賄い料理に改良を加えたものをチキン南蛮と名付け、自分の店で出し始めたと聞きます。

 一方で、タルタルソースを掛けたチキン南蛮を最初に出し始めた「おぐら」は宮崎市で創業しました。創業者の甲斐義光さんは延岡市出身で、おぐらを始めるに当たり、洋食の基礎となるデミグラスソースの作り方を「ロンドン」(当時は「翁」という店名だった)のマスター・樽井さんに習ったそうです。

 樽井さんは昭和40年代に亡くなられたそうですが、「おぐら」のチェーン店のなかに「ロンドン」や「翁」という店名があったのは、師匠に対する義光さんの感謝の気持ちの現れだったのでしょう。

 後藤直さんと甲斐義光さん。いわば2人は同門であり、どちらが先にチキン南蛮を世に出したかは別にして、そのルーツは「ロンドン」というお店にあるのは間違いありません。

 現在、延岡市内ではレストランや喫茶店、居酒屋はもとより、寿司店など約60店でチキン南蛮を提供しており、内容もバラエティーに富んでいます。しかしながら、南蛮党発足当時、チキン南蛮は宮崎県の郷土料理として既に全国的にも知られた存在でしたが、そのルーツが延岡にある〝延岡発祥のご当地グルメ〟というアピールはほとんどなされていませんでした。

 発祥にまつわるストーリーを持ち、すっかり市民に根付いたチキン南蛮を、〝延岡発祥のご当地グルメ〟として発信しない手はありません。市民はもとより、多くの県民が知らなかった延岡発祥というルーツ性を発信していくだけでも、延岡観光のキラーコンテンツになりえる。その確信こそが、南蛮党の活動の出発点でした。

 「NAN BAN TRY」が発足

 延岡発祥チキン南蛮党は結成当時、「NAN BAN TRY」の名称でした。

 延岡市は平成18~19年(2006~2007)度に、北方、北浦、北川の周辺3町と合併し、九州で2番目に広い面積の自治体となるとともに、祖母・傾、日豊海岸という2つの国定公園に囲まれた自然豊かな都市となりました。

 昭和30-50年代、高度成長の波に乗り、この地に創業した旭化成の企業城下町として元気だったまちも、近年は他の地方都市同様、人口減少や高齢化が進み、中心市街地の衰退も手伝って、まち全体が活力を失いつつありました。

 そうしたなか、恵まれた自然環境や、その環境が生み出す豊かな産物、工業都市が育んだ多彩なご当地グルメなどを生かし、観光事業を活性化させることで交流人口を増やそうという機運が、合併を機に一気に高まってきました。

 平成20年度には延岡市としては初となる「観光振興ビジョン」が策定されました。整備遅れが顕著だった東九州自動車道が数年後にはつながる見通しが立ってきたことも背景にあり、全線開通後に通過地域にならないための方策が盛り込まれました。

 私を含め、そのビジョン策定に携わったワーキンググループメンバーが中心となって結成したのが、「NAN BAN TRY」でした。

 最初の会合が持たれたのは、平成20年(2008)11月でした。観光振興ビジョンワーキンググループの座長で市民協働まちづくりセンターの事務局長・福田政憲さん、九州保健福祉大学准教授の山内利秋さん、市商業観光課長(当時)の野々下博司さん、延岡観光協会事務局長(当時)の土屋博長さんら延岡観光の中核となるメンバーが集い、ご当地グルメを活かしたまちおこしについて議論しました。

 その中では「チキン南蛮はB級ではなくもはやA級グルメではないか」といった意見や、チキン南蛮だけでなく、その根底にある「魚の南蛮漬け」といった市内に伝わる南蛮料理全体を発信してはどうかという意見もあり、とりあえず会の名称を「NAN BAN TRY」とすることが決まりました。この名称は「南蛮渡来」と英語の「トライ」(挑戦する)をかけたもので、南蛮料理文化発信に挑戦するという意味が込められました。

 翌21年の1月、ワーキンググループのメンバーによる視察研修が行われ、九州のご当地グルメ発信の先駆者である、福岡県北九州市小倉焼きうどん研究所の竹中康二さんから小倉の取り組みなどを学びました。九州のB級ご当地グルメの先駆者である竹中さんの話は興味深く、この視察を契機に「やはりチキン南蛮だけに絞って発信していくべきだ」という雰囲気が醸成されていったように思います。

 会の活動が本格的に動きだしたのは、平成21年4月からです。その年、宮崎県がチキン南蛮を県の観光遺産に登録してくれたことが追い風になり、市商業観光課にNAN BAN TRY担当(現企画課・杉本賢治郎さん)ができました。初代会長(のちの党首)には、旭化成延岡支社総務部長だった上荷田洋一さんに就任していただきました。

 まず、7月8日を「チキン南蛮の日」とすることを決め、その記念日に「チキン南蛮発祥のまち宣言シンポジウム」を開きました。NAN BAN TRYの本格的なスタートとなる大事なイベントでしたので、単なるグルメイベントでお茶をにごすのではなく、あえてアカデミックなシンポジウムにして大まじめに「発祥のまち」を宣言し議論することで、インパクトを出そうという試みでした。

 開始時間を午後7時8分に設定することにこだわり、司会者(野々下市商業観光課長=当時)がコック、南蛮レディ(のべおか若鮎レディ)がウエイトレスのコスチュームで登場したり、前年のNHKの大河ドラマ「篤姫」のテーマが流れるなか、宣言文をトレイに載せて入場した南蛮レディが声高らかにそれを読み上げてみせたりと、随所に〝遊び心〟を盛り込みました。

 シンポジウム自体の内容も濃く、多くのマスコミに大々的に報道していただき、チキン南蛮発祥のまち・延岡はスタートダッシュに成功しました。

(この項つづく)

直ちゃんの甘酢だけのチキン南蛮
タルタルが病みつきになるおぐらのチキン南蛮

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